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シャネルの人生後編「どんな人生を夢見たか」

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前編はこちら↓

このパート3で最終回となります。

彼女の人生を最後まで追いかけてみましょう。

では続きをどうぞ。

 
【前回までのあらすじ】

時代が求めているものを鋭く捉え、次々と新しいものをつくり続けてきたシャネル。ファッション、恋愛、死別、香水事業など様々な経験を経て、第二次世界大戦を機にお店を閉めます。

「あたしの人生――ときには、ドラマもありましたが――ひとりのおんなが、みじめさや栄光を味わいながら、不平等に対して闘い、ときには、自分に対しても反逆して生きようとしたり、男、誘惑、さまざまなことからおきる危険を無我夢中で切り抜けたという話なのです」*1

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目次

 

復帰を決意

しばらく休業生活をしていたシャネル。

 

しかしその間にもファッションは変化し続けていました。

 

クリスチャン・ディオールがつくった「ニュー・ルック」というスタイルが流行しだしたのです。

 

しかしこれは彼女にとって我慢ならないものでした。なぜなら、それは体の曲線美を強調するために女性たちに再びコルセットを着けさせるという、シャネル以前の発想に逆戻りする考えだったからです。

 

「きれいなスケッチを描く男のデザイナーたちは女のことを知らない」「女性たちをもう一度開放するわ」と、ファッション業界に復帰する決意をします。

 

劇的なカムバック

1954年2月5日、71歳の彼女はカムバックコレクションを開催します。

 

しかし評判は不評でした。

 

「流行おくれ」「大失敗」「シャネルの時代は終わった」などと批判されました。

 

酷評の嵐にもめげず、シャネルはすぐにつぎのコレクションにとりかかります。仕事に向かうことで心をなぐさめたのです。

「私が何より望んできたのは、ファッションから私の気に入らないものを追い出してしまうことでした。私はファッションが必要としていたこの清掃作業のために、運命の女神がつかわした道具だったのす」*2

 

ところがアメリカでは、彼女の着やすくて上品なスタイルはすぐに受け入れられました。

 

「シャネルがもたらしたのは、ファッション以上のもの、革命である」とアメリカのライフ誌は大絶賛したのです。

 

際立ったシャネルスーツはとりわけ人気が高く、シャネルがデザインしたオートクチュールの服は、最高のオシャレを意味するようになりました。

 

ケネディ大統領が撃たれた時に、ジャクリーン夫人が着ていた服もピンクのシャネルスーツだったというのは有名です。

 

コピー品

もちろんシャネルの服を誰もが着られたわけではなかったので、多くの人はコピー品を着ました。

 

しかし彼女は自分の服がコピーされることに対して寛大だったそうです。

 

ある日、友人の娘を紹介されたのですが、その娘が着ていたのはシャネルスーツのコピー品。

シャネルはそれをじっくり見た後、「悪くないわね。袖のたれ具合を別にすれば」と言い、その上着の袖を付け直してあげました。

「すばらしくよくできた一枚の服は、やがて既製服の基本になる。けれども既製服からはすばらしい服は生まれない」*3

 

仕事にささげた人生

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↑晩年のシャネル。

「あたしは、服をつくる道を選んだ。ほかのことでもよかったのかもしれないが。服をつくりはじめたのは、全くの偶然からであった。服それ自体には、興味はないが、仕事が好きだったのだ。仕事のためには、すべてを犠牲にした。恋でさえ犠牲にした。仕事はあたしのいのちを、むさぼり食ったのである」*4

 

コピー品には真似ができないよう、オリジナルの品質を守ることにかけては、いっさいの妥協を許さず、朝から晩まで働き続けました。

「削って削って削り続けるの。付け足してはだめ」「ボタンホールのないボタンはないのよ」「外側だけでなく見えない内側も完璧に」*5

 

70歳をすぎて、装いの最高権威としてあがめられていたシャネルには、沢山の賛辞や、いくつもの賞が贈られました。そんな彼女はこんな言葉も残しています。

「二十歳ではなやかに、四十歳ではチャーミングに、そしてそれから先は、愛くるしくなれるものよ」「老年の上品さと気むずかしさは、一種の威厳ね。若い女性は着飾りすぎてはだめ。そんなことしたら、とてもやぼったくなってしまうわ」*6

 

彼女はモデルの何人かと友達になり、はなやかなお付き合いについて話を聞くのが楽しみとなりました。そうして耳を傾けていると、自分の若いころの記憶までが思い出されるようでした。

「あたしはきめたんです。近頃さかんにいわれ、つくり出された“幸福”なんていう日常的な毒薬なんて必要としないで、しあわせであろうと」*7

 

永眠

関節炎をわずらい、毎日、大量のビタミン剤を飲んでいたシャネルは、亡くなる前日まで春のコレクションづくりを行っていましたが、1971年1月10日、この世を去りました。享年87歳でした。

その夜、突然、呼吸困難に陥ったシャネルは、かけつけたメイドが救命用の薬を注射しようとすると、その注射器を手にとって自分で打ち、「こんなふうにして人は死ぬのよ」ということばを最後に、その夜のうちに静かに息を引き取ります。*8

 

「モードは変わる、スタイルは変わらない」とシャネルは言いました。

 

そのシャネルスタイルを継承したのはカール・ラガーフェルドです。

 

彼女の死後、勢いを失ったシャネルブランドは、彼の手によってトップの座によみがえり、世界の一流企業の一つとして成長し続けています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「実際にどう生きたかということは大した問題ではないのです。大切なのは、どんな人生を夢見たかということだけ。なぜって、夢はその人が死んだ後も生き続けるのですから」*9

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

年表

  0歳1883年 8月19日シャネル誕生。

12歳1895年 孤児院に預けられる。

17歳1900年 修道院寄宿学校に入る。

20歳1903年 お針子。バルサンと同棲。

25歳1908年 カペルと出会う。

27歳1910年 帽子屋を開店。

34歳1917年 芸術家たちのパトロンに。

36歳1919年 カペルの死亡。

38歳1921年 香水「シャネルNo.5」を発売。

41歳1924年 黒のドレス発表。公爵と交際。

48歳1931年 ハリウッド進出。

53歳1936年 ストがシャネルの店にも波及。

56歳1939年 休業。ドイツ人外交官と交際。

62歳1945年 スイスで亡命生活に入る。

71歳1954年 カムバック。

87歳1971年 死去。

 

 

 

 

 

シャネル公式動画

今回のエントリの内容が3分で見れます。

※字幕表示可能です


Gabrielle Chanel - Inside CHANEL